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楼主: 赤色飞蛾

旧共产主义蓝图的毁灭与新共产主义蓝图的建立 [复制链接]

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发表于 2013-6-23 13:52:26 |显示全部楼层
本帖最后由 马列托主义者 于 2013-6-23 13:54 编辑
赤色飞蛾 发表于 2013-6-22 14:58
你是在苏州吗?是的话是否能就这些问题当面谈?我想这种隔空争论很多问题都谈不清楚。 ...


怎么你来苏州了,你的理论求索的精神是可嘉的,但是有些问题你确实想的简单化了。
有空的话我们倒可以见见聊聊
不过就这个问题,我觉得书面谈应该比口头谈更有条理。同时我也觉得我和你对这个问题的重要性认识不同,你可能觉得这是革命的关键问题战略问题,但是我认为马列主义的方法是正确的不能动摇的,你的立论基础很多因为受到资产阶级理论的影响而有些混乱
比如你的新劳动价值论和马克思的一点关系都没有了,能不能叫劳动价值论也是个问题了,因为直接按照劳动的体力脑力的耗费来定价值本身就是对价值的乱用,你可以把它叫价值也可以叫任何东西比如火星,但是他和本然的价值或火星一点关系都没有。

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发表于 2013-6-24 16:44:09 |显示全部楼层
马克思分析价值用的方法是黑格尔的方法而不是康德的方法,马克思说即使他不讲价值,也不需要去证明价值,价值就在,价值是资本主义的形态,是客观存在,是商品的存在方式,它以价格表现出来的,而你的价值论和这无关,是观念中的东西,不过是你自己要把这个劳动耗费定义为价值,但是社会上没有这个东西存在,或者你说社会上通过什么方式表现了你的所谓的价值。马克思的劳动价值论是辩证唯物主义的,其对立面是效用价值论,就是形而上学唯心主义价值论,这种价值论也说明了社会的客观存在但是是不正确的说明,而你的新劳动价值论什么都没有说明,而对劳动价值论的否定就是消灭资本主义取消价值,这是马克思的目的,根本不是你说的马克思的劳动价值论不彻底。

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发表于 2013-6-24 20:35:11 |显示全部楼层
"第五、按劳分配走向按需分配,没有找出一个明确的可实施的过渡路径。"

利润中开始有按劳分配的比例, 并逐渐扩大, 这就是通往共同富裕、按需分配之路. 参见以下文章:
40年代毛泽东谈利润的按劳动分红   http://redchinacn.net/portal.php?mod=view&aid=10203
企业利润不能只按资分配, 也要按劳分配   http://redchinacn.net/portal.php?mod=view&aid=10147


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发表于 2013-6-27 17:35:52 |显示全部楼层
马列托主义者 发表于 2013-6-24 16:44
马克思分析价值用的方法是黑格尔的方法而不是康德的方法,马克思说即使他不讲价值,也不需要去证明价值,价 ...

这样修改劳动价值论是有科学道理的。无差别的人类劳动只能是劳动无差别的身体和精力的耗费付出,而不是其他。现实中没有这种按劳动耗费分配的状况,因为这是资本主义社会,资本主义社会的按劳分配本身就是按资分配的一部分。按劳动耗费分配,即能指导共产主义的建设,达成基本的经济平等。否则就没有。
马克思恩格斯最大的错误,就是将价值仅仅视为商品价值,劳动价值论能够应用到资本主义后的社会里。按劳分配与其密切相关。

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发表于 2013-6-27 17:37:17 |显示全部楼层
大黑山 发表于 2013-6-24 20:35
"第五、按劳分配走向按需分配,没有找出一个明确的可实施的过渡路径。"

利润中开始有按劳分配的比例, 并逐 ...

我认为这样的利润分肥,还比不上斯大林的通缩路线。

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发表于 2013-6-27 20:30:02 |显示全部楼层
本帖最后由 马列托主义者 于 2013-6-27 21:00 编辑
赤色飞蛾 发表于 2013-6-27 17:35
这样修改劳动价值论是有科学道理的。无差别的人类劳动只能是劳动无差别的身体和精力的耗费付出,而不是其 ...


无差别是抽象的意思,本身就是指身体和精力的耗费付出,但是他不是个别的身体和精力的耗费付出,而是社会必要的,在资本主义下没有按劳分配,工资不是按劳分配。只有商品具有两重型,价值和使用价值,其他的劳动比如服务劳动,不形成价值和使用价值,他是消费和“生产”的统一,就是说劳动过程就是消费过程,比如理发,理发师的理发劳动和被理发者的理发消费是同时发生的,只能说理发师获得的收入不过是被理发者的工资收入支出,换来的要么是其他的同样的服务性劳动或者商品。你对马克思劳动价值论的真的理解不透,主要是不能理解价值的黑格尔形式,就是辩证的历史的活生生的客观存在,不需要证明的,并不是一个永恒的概念,随着资本主义的消亡,劳动价值形态就消失

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发表于 2013-6-27 20:47:54 |显示全部楼层
本帖最后由 马列托主义者 于 2013-6-27 20:49 编辑

下面是日文,就是说在价值概念混乱方面早有人提出了,资产阶级辩护士早就不断地在提出各式各样新的所谓价值论

http://www.xici.net/d190372857.htm

3.価値を巡る混乱

 今から40年も前に、J.ボードリヤールが『消費社会の神話と構造』の中であふれる商品を前にして次のように言った。
 「我々が真に豊かな社会にいるのではなくて、現代に生きる個人や集団や社会や種としての人類そのものが希少性の記号のもとに置かれているという事実である。」(p.39)
 このことは今も有効である。必要性もなく、一見役立ちそうもない様々な商品があふれる今日の大衆社会の中で、価値はこの希少性という飢餓感覚に追い立てられている。それは単に無駄や浪費なのではない。それこそ現代社会の労働を支えている根幹なのである。
 アイデアを重んじ、新奇なものの生産が価値を生み出す世界こそ、人を資本として新しい労働へと導く。需要を創り出すこと、それが価値と雇用を創り出すからである。需要とはあなた自身のことであり、あなた自身があなた自身の雇用を創造するというのである。だから、あなたは資本そのものであり、資本主義の根幹であると。
 何故、そういった詐術が通用するのか、と問いたくなるだろう。答えは簡単である。それが現実だからである。需要を創り出さなければ、現代社会は70%の失業者を生み出すからである。つまり、社会が崩壊するからである。
 資本という形態の生産構造が随分以前から使用期限が切れていたことに人々が気づかないのは、価値を作り出さなければ生きていけないというシステムそのものに根拠があり、その価値とは何だったかと言えば、貨幣のことだと木霊が返ってくるのである。ここに資本という死んだものが生き延びる秘密が隠されている。マルクス「主義者」は往々にしてこの価値の生産を工場に限定したがるが、それは商業が価値を生まないという「資本論」の一節* 3 に依拠した思い込みである。サービス業が価値を生まず、価値を測る基準さえないということを、むりやり知的労働に求めたり、共領域に求めたりすると、サービス業の経済的位置づけとともに、知的労働や共領域という曖昧な説明をそこに差し挟まざるを得なくなる。知的にもいろいろあって、レジを打ったりすることも知的なものになってしまうし、また進学のために個人教授することも共領域に入ってしまうという混乱が起こってくる。比較的うまく説明できていたレントでさえ、既に述べたように矛盾した現実的でない事態が生まれるのである。ただ、問題がそこにあるということだけははっきとしている訳だ。
 サービス業が単純な商品の交換ではない形態で、つまり資本として機能しているかぎり、剰余価値を生み出すことは自然な姿である。なぜなら、そこに労働過程があり、資本家の下で商品を生み出し、それが資本として還流してくるからである。この場合、商品が有形か無形かは問題とはならない。もしそこに思い違いがあるとしたら、サービス業が形のない商品を生み出すことで、産業資本主義時代の労働とは異なる労働があることに気づかないからである。それは先に述べたように、知的であったり公共的であったりするのではなく、労働者そのものが変容させられた結果なのである。そういう意味においては労働者の奴隷化が一層進んだといっていいだろう。労働者を「資本」になぞらえて、あたかも主体的に労働しているかの如く思い込ませるためには、ある種の蓄積過程が歴史的に存在したことは確かで、「資本主義の成熟」という喩えで表現される一連の過程がそれにあたると考えていいだろう。それを「新自由主義的過程」と呼んでいいようなものである。
 更に付け加えておこう、誤解のないように。サービス業において労働者が資本のように見えるのは、商品の販売が労働過程と一体だからである。しかし、単純な流通ではない理由は、商品の購買者は労働者に対価を支払うのではなく、資本家に支払うのであるからだ。労働者は自らの価値以上のサービスを購買者に、つまり資本家に与えてしまっているのであるが、それには自らがあたかも自営業者のような思い込みが必要であり、自己の経済的姿を欺く必要がある訳である。労働者の小ブルジョア的意識性はかくのように生まれるが、それは常に不安定で心理的な抵抗感が生じる。現代社会(大衆社会)が不安を基調とし、資本家たちの高度な宣伝戦が繰り広げられるのはそのためである。
 今、労働者階級は自らの利害を代表する政党を持っていない。それは、「成熟期」にある資本主義の労働者階級に特有の団結形態をつかまえ損ねているからだと言える。古い労働組合形態や、集団性ではない新しい繋がりがそこでは求められている。つまり新しい政治形態が必要なわけである。かつての自然発生性はそこでは生まれないと言える。徹底的に改変されている労働者の意識性からは、自然に団結が生まれるとは思えない。時折、爆発的に無定形に吹き出す反抗形態は今日、「無政府主義だ」と言われているが、萌芽形態にあるものは常にそういう風に見えるものである。我々に必要なものはそういった萌芽形態を、そのまま空間的時間的に連結するための方途を探ることではないだろうか。

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发表于 2013-6-28 10:01:15 |显示全部楼层
如果说服务业等第三产业未生产物质产品的话,但是他们生产了劳动力这种特殊商品,它们是劳动力商品价值的构成条件,前提是劳动力成为商品,在社会主义或共产主义社会,劳动力不再是买卖的商品,所以价值不存在

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发表于 2013-6-28 10:02:31 |显示全部楼层
大黑山 发表于 2013-6-24 20:35
"第五、按劳分配走向按需分配,没有找出一个明确的可实施的过渡路径。"

利润中开始有按劳分配的比例, 并逐 ...

不是分配利润,而是消灭利润

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发表于 2013-7-1 21:32:07 |显示全部楼层
本帖最后由 大黑山 于 2013-7-1 21:43 编辑
马列托主义者 发表于 2013-6-28 10:02
不是分配利润,而是消灭利润

你去喝西北风好了.

劳动创造了人, 劳动创造了财富. 消灭利润? 除非你想消灭劳动, 同时你将消灭人类. 红色高棉就这样干掉了百万人口.

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