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八九革命30周年 ── 群众运动的机会再次浮现 [复制链接]

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楼主
发表于 2019-6-1 10:18:33 |显示全部楼层
写得不错
昨天看到一个国内的分析,中国现在开始出现滞涨的倾向,这是国家资本主义长年凯恩斯主义经济政策的结果,在70年欧美因为凯恩斯主义政策出现了严重的滞涨危机,按道理,这种滞涨危机在中国应该是会越来越严重的,而现在中国找不到一个新自由主义的出路(如欧美当时遇到的那种,比如中苏由计划经济回到市场经济给欧美的提供的市场)所以中国的滞涨应该是找不到出路的。

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沙发
发表于 2019-6-2 12:17:09 |显示全部楼层
徐向前元帥は事件について「国内外の反動勢力が相互に結び付いた結果であり、社会主義の中華人民共和国を転覆させ、西側大国のブルジョア共和国の属国になるものだ」と強調。聶栄臻元帥は趙氏に触れて「政治的陰謀と野心をあらわにし、われわれを攻撃している」と批判した。


64时 徐向前聶栄臻这些余孽还在,叶剑英在不在了

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板凳
发表于 2019-6-2 12:18:39 |显示全部楼层
著名な中国政治専門家である米コロンビア大のアンドリュー・ネイサン教授は1日、1989年6月の天安門事件から30年を迎えて明治大(東京都千代田区)で開催されたシンポジウムで講演し、当時の中国共産党長老ら17人が事件直後の会議で、民主化運動の武力弾圧を強く支持するなど強硬論を唱えた内部講話の内容を明らかにした。

 ネイサン氏は、天安門事件を「教訓」に習近平国家主席は強権体制を確立したと解説した。

 ネイサン氏が公表したのは、89年6月19~21日に開催された共産党政治局拡大会議での発言。学生に同情した趙紫陽総書記を正式に解任し、後任に上海トップの江沢民氏を抜てきするなど事件を総括した23~24日の党第13期中央委員会第4回総会(4中総会)の準備のため、既に一線を退いた長老らが相次ぎ発言した。

 徐向前元帥は事件について「国内外の反動勢力が相互に結び付いた結果であり、社会主義の中華人民共和国を転覆させ、西側大国のブルジョア共和国の属国になるものだ」と強調。聶栄臻元帥は趙氏に触れて「政治的陰謀と野心をあらわにし、われわれを攻撃している」と批判した。

 会議では楊尚昆国家主席(当時)が「趙氏が総書記に就任して以降、(党最高指導部)政治局常務委員会には『核心』(突出した指導者)がいなかった」と発言。ネイサン氏はこれを引き合いに、「独裁的な権力を手中に収めなければ板挟みの状態に置かれる。習氏が強大な核心権力を確立したのは天安門事件を教訓にしたものだ」と分析した。

 ネイサン氏によると、長老らの内部講話の全容が明らかになるのは初めて。香港でこのほど出版された自身の著書「最後の秘密」に収録されている。

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地板
发表于 2019-6-3 09:25:00 |显示全部楼层
本帖最后由 马列托主义者 于 2019-6-3 09:35 编辑

当时64领导者之一陳振亜说:
真的很后悔,当时如果我们决定总罢工,可能能改变中共一党独裁,天安门的悲剧可能就不会发生。
陳振亜当时在中国最大规模的国企,有22万工人的首钢工作,他向当时的学生運動指導者的李進進说能不能组织独立工会。
5月1日的劳动节,工人积极支持学生的民主运动,并且准备推进独立工会组建的准备工作。这是中共最害怕的。5月13日李鹏专门去首钢和陳振亜等工人代表谈话,说中共当局会认真对待经济活动的混乱和中共和政府的腐败问题的。希望不要总罢工(我看这是欺骗)
不过,16日还是发生了罢工,17日总共有40万人发起了罢工,18日陳振亜等工人代表成立了工自联,同时宣布准备20日北京几百万工人总罢工。于是邓小平马上发布戒严令,禁止示威,罢工等一切活动。中共在首钢布置了1万名士兵,最后总罢工没有发生。
该日文作者当时也在北京

https://headlines.yahoo.co.jp/ar ... 00009-pseven-cn&p=1

天安門事件30年目の証言、「我々は共産党打倒できていた」

中国・北京で軍の弾圧によって300人以上の学生・市民が命を落とした天安門事件から、6月4日でちょうど30周年となる。筆者(ジャーナリスト・相馬勝)は、当時の民主化運動の指導者だった陳振亜氏から貴重な証言を引き出した。

「本当に悔やまれる。あのとき、我々がゼネスト(一斉ストライキ)を決行すれば、中国共産党の一党独裁体制に風穴を開けることができたはずだ。天安門事件の悲劇も、もしかしたら起こっていなかったかもしれない」(陳氏)

 天安門事件当時、陳氏は中国最大規模の国有企業であり、労働者22万人を抱える首都鋼鉄公司に勤めていた。陳氏は1989年4月に起こった北京の学生による大規模デモなどの民主化運動に共感し、自らも天安門広場に日参するようになる。そこで出会ったのが、学生運動指導者の李進進氏だった。李氏は当時、北京大学博士課程に在籍し、北京大学大学院生会会長でもあった。

「私は天安門広場で運動の指揮をとる李氏に、当時のポーランドの労働運動の最高指導者で、のちに大統領に就任するレフ・ワレサ氏が結成した自主労組『連帯』のような、労働者だけの純粋な労組を創設できないかと提案した。

 中国の労組は共産党の管理下にあり、党の指示に服従する“御用組合”でしかない。もし北京にいる数百万の労働者が参加する自主労組ができれば、共産党にとって桁外れの大きな脅威になる。これまでないがしろにされてきた労働者の権利を認めさせることに繋がるかもしれないと考えたのです」(陳氏)

 5月1日のメーデーを機に、労働者たちは積極的に学生たちの民主化運動を支援するようになる。以降は積極的に学生支援を表明し、同時に中国初の自主労組結成の準備も進んでいった。

 このような労働者たちの動きに共産党は敏感に反応した。党最高指導部が最も恐れていたのは、運動が学生から労働者へ、北京から中国全土へと飛び火し、全国で蜂起が起こることだった。もしそうなれば、共産党政権がもはや「プロレタリアートの党」ではなく、人民から利益をむさぼるだけの単なる支配階級でしかないことが白日の下にさらされ、一党独裁体制崩壊の引き金になる可能性もあったからだ。

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