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战后中日关系的“钓鱼岛问题”史

2015-7-27 11:38| 发布者: 远航一号| 查看: 1593| 评论: 3|原作者: 刘建平

摘要: 追求“世代友好”的中日关系终因“钓鱼岛问题”陷入准断交危机,颠覆了观念先行的伟人崇拜外交学叙事。虽然在中国交涉下恢复了“无人岛”原状,却是无解化的开始。中日关系危险地纠结于战后处理的民族主义原点,领土问题的条约交涉不能再拖延。

【注释】
①《为中国政府同安倍“绝交”鼓掌》,载《环球时报》2013年12月31日;李薇(主编):《日本研究报告(2014)》,北京:社会科学文献出版社2014年版,第6页。
②「習主席、対日改善に意欲」、『産経新聞』2014年8月7日。
③「玄葉外相が国際紙寄稿」、『産経新聞』2012年11月21日。
④「カイロ宣言」、「ポツダム公告」、竹内実編『日中国交基本文献集(下巻)』蒼蒼社、1993年、107と111-112頁。
⑤「若干の外廓地域を政治上、行政上日本から分離することに関する覚書」(1946年1月29日)、南方同胞援護会編『沖縄問題基本資料集』株式会社文唱堂、昭和43年、11頁。
⑥《旧金山“对日和约”》,载田桓(主编):《战后中日关系文献集:1945—1970》,北京:中国社会科学出版社1996年版,第105页。
⑦「外務省の南西諸島観 南西諸島一覧表」、『季刊沖縄』第56号(1971年3月刊)、107-108頁。
⑧「琉球政府章典」(1952年2月29日米国民政府令第68号)、南方同胞援護会編『沖縄問題基本資料集』株式会社文唱堂、昭和43年、310頁。「琉球列島の地理的境界」(1953年12月25日米国民政府布告第27号)、『季刊沖縄』第63号(1972年12月刊)、158頁。
⑨《政府维护钓鱼台列屿主权》(《中央日报》1971年4月21日讯),载中国国民党中央委员会第四组(编):《钓鱼台列屿问题资料汇编》,台北:海峡学术出版社2011年版,第46—48页。
⑩《琉球群岛人民反对美国占领的斗争》,载《人民日报》1953年1月8日,第4版。笔者2014年6月18日对人民日报社一位老干部(当时的国际资料组长)采访时,他还说,注有“资料”的文章是资料组编写的,国际资料是否准确由作者自己判断,领导审稿只是看看文字,政治上没问题就发稿了。当时资料组有一位日本语专业资料员,这种资料编译与领土问题无关。
11アジア局第二課「中国の主張と沖縄、奄美大島」(1953年11月30日)、『南西諸島貴帰属問題』第一巻(A′.6.1.1.3)、外務省外交史料館所蔵。
12『第六部 大蔵委員会会議録第二十五号 1954年3月26日(参議院)』、9頁(日本国会会議録)。
13浦野起央『尖閣諸島·琉球·中国』三和書籍、2002年、148頁。『第一類第四号 外務委員会議録第三十七号 1955年7月26日』、15頁(日本国会会議録)。
14『第十三部 予算委員会会議録第五号 1955年12月13日(参議院)』、27-28頁(日本国会会議録)。
15「往復書簡」(1955年4月15日)、『日中漁業会談記録』日中漁業協議会、昭和30年、389-394頁。
16『第一類第四号 外務委員会議録第十七号 1967年7月12日』、25頁(日本国会会議録)。『第二類第七号 沖縄問題等に関する特別委員会議録第十三号 1967年6月20日』、9頁(日本国会会議録)。
17吉田茂:《十年回想》第3卷,韩润棠等译,北京:世界知识出版社1965年版,第38页。「吉田首相の施政演説」(1951年10月12日)、南方同胞援護会編『沖縄問題基本資料集』株式会社文唱堂、昭和43年、620頁。
18原彬久編『岸信介証言録』毎日新聞社、2003年、130と140頁。「岸総理、アイゼンハウアー大統領共同声明」(1957年6月22日)、南方同胞援護会編『沖縄問題基本資料集』株式会社文唱堂、昭和43年、114頁。
19「久場島の軍用地基本賃貸借契約書」(1958年7月1日)、『季刊沖縄』第56号(1971年3月刊)、142-148頁。
20『いわゆる尖閣列島がなぜ問題になっているのか』高庄株式会社、1971年、1-2頁。浦野起央『尖閣諸島·琉球·中国』三和書籍、2002年、XXIII頁。中国国民党中央委员会第四组(编):《钓鱼台列屿问题资料汇编》,第510页。『第二類第八号 沖縄及び北方問題に関する特別委員会議録第二号 1968年8月9日』、10頁(日本国会会議録)。
21「尖閣群島標柱建立報告書」(1969年5月15日)、『季刊沖縄』第63号(1972年12月刊)、167頁。浦野起央等(编):《钓鱼台群岛(尖阁诸岛)问题研究资料汇编》,香港:励志出版社、东京:刀水书房2001年版,第190页。浦野起央『尖閣諸島·琉球·中国』三和書籍、2002年、164頁。
22中国国民党中央委员会第四组(编):《钓鱼台列屿问题资料汇编》,第77—78、515页。内閣官房内閣調査室編『尖閣諸島問題に対する関係各国の態度と論調』、1971年、7と52-60頁。浦野起央等(编):《钓鱼台群岛(尖阁诸岛)问题研究资料汇编》,第191—200页。『第二十二部 沖縄及び北方問題に関する特別委員会(第六十三回国会閉会後)会議録第三号 1970年8月10日(参議院)』、6頁(日本国会会議録)。
23『第一類第一号 内閣委員会議録第二号 1970年12月7日』、7頁(日本国会会議録)。『第一類第四号 外務委員会議録第一号 1970年12月4日』、3-4頁(日本国会会議録)。
24井上清『「尖閣」列島——釣魚諸島の史的解明』、第三書館1996年、84—133頁。
25「米公文書 米圧力で尖閣観測所断念」、『産経新聞』2013年9月6日。祖国月刊社(编):《钓鱼台问题资料选辑》,(香港)友联研究所1972年版,第53—56页。中内康夫「尖閣諸島をめぐる問題と日中関係」、参議院事務局企画調整室編『立法と調査』第334号(2012年11月刊)、71-72頁。
26矢吹晋『尖閣衝突は沖縄返還に始まる』花伝社、2013年、34と47頁。「沖縄調印前の公文書判明」、『朝日新聞』2012年9月30日。祖国月刊社(编):《钓鱼台问题资料选辑》,第61页。
27『第一類第一号 内閣委員会議録第二号 1970年12月7日』、7頁(日本国会会議録)。
28《钓鱼台的领土权问题》,载《中日关系研究参考资料》第42期(1972年6月20日刊)。该文系(台湾)中日关系研究会选辑日本《世界周报》(1972年3月2日刊)所载田口三夫的文章,译者是郝致诚。
29刘建平:《战后中日关系:“不正常”历史的过程与结构》,北京:社会科学文献出版社2010年版,第133页。
30中江要介『日中外交の証言』蒼天社出版、2008年、14-22頁。
31美濃部亮吉「中国の自民党政権観」と保利茂「保利書簡のいきさつ」、時事通信社政治部編『日中復交』時事通信社、昭和47年、75-79と86-87頁。
32春日一幸「政府折衝の促進に当たる」、時事通信社政治部編『日中復交』時事通信社、昭和47年、96-106頁。中共中央文献研究室(编):《周恩来年谱(1949—1976)》下卷,北京:中央文献出版社1997年版,第519—520页。
33张香山:《中日复交谈判回顾》,载《日本学刊》1998年第1期。刘建平:《战后中日关系:“不正常”历史的过程与结构》,第242、249页。
34服部龍二『日中国交正常化』中央公論新社、2011年、168-170頁。
35《钓鱼岛是中国领土,铁证如山!》,载《人民日报》2012年10月12日,第3版。张香山:《中日复交谈判回顾》。笔者2012年6月30日对参加中日邦交正常化谈判的外交部某退休老干部的采访。
36橋本恕「橋本恕氏に聞く——日中国交正常化交渉」、石井明等編『日中国交正常化·日中平和友好条約締結交渉』岩波書店、2003年、224頁。栗山尚一「中国の長期的な戦略」、『日本経済新聞』2014年3月9日。
37中国課「日中間の懸案事項」(1972年7月10日)、『田中総理中国訪問』(2011-0721)、外務省外交史料館所蔵。
38『第二類第八号 沖縄及び北方問題に関する特別委員会議録第十一号 1972年5月9日』、3頁(日本国会会議録)。
39『第一類第十三号(附属の五)予算委員会第四分科会議録(農林省、通商産業省及び労働省所管)第六号 1972年3月25日』、14頁(日本国会会議録)。
40从田中角荣的发言就更可以推断日本外务省对首脑会谈记录的删改,而加给周恩来的“因为有石油,就成了问题”的说法原来是田中角荣对日本的批评。
41「田中総理大臣記者会見詳録」(1972年9月30日)、『田中総理中国訪問』(2011-0721)、外務省外交史料館所蔵。
42「田中首相が披露 訪中うら話」、『日本経済新聞』1972年10月2日。『第二類第八号 沖縄及び北方問題に関する特別委員会議録第六号 1973年4月20日』、15頁(日本国会会議録)。
43『第十三部 予算委員会会議録第八号 1973年3月22日(参議院)』、7頁(日本国会会議録)。
44栗山尚一「妥協可能な交渉枠作れ」、『毎日新聞』2012年9月2日。「双方譲歩し原点に」、『東京新聞』2013年8月4日。
45 「田中·周会談、見えぬ真相」、『日本経済新聞』2013年7月28日。
46吉田茂:《十年回想》第3卷,第37—38页。
47『第一類第十三号 予算委員会議録第三号 1972年11月6日』、20-21頁(日本国会会議録)。
48「日中平和条約で尖閣列島触れず」、『読売新聞』1972年11月7日。
49『第十三部 予算委員会会議録第十二号 1973年3月27日(参議院)』、13頁(日本国会会議録)。
50『第一類第四号 外務委員会議録第三号 1975年2月24日』、3頁(日本国会会議録)。『第四部 外務委員会会議録第五号 1975年2月25日(参議院)』、5頁(日本国会会議録)。『第四部 外務委員会会議録第十二号 1977年5月24日(参議院)』、14-15頁(日本国会会議録)。『第一類第九号 商工委員会議録第五号 1977年11月2日』、21頁(日本国会会議録)。
51中江要介『アジア外交 動と静』蒼天社出版、2010年、198頁。张香山:《中日缔结和平友好条约前后》,载《日本学刊》1998年第4期。
52「領土タナ上げし日ソ条約を」、『毎日新聞』1975年2月4日。「首相、ソ連提唱断る」、『毎日新聞』1975年2月14日。
53永野信利『天皇と鄧小平の握手——実録·日中交渉秘史』行政問題研究所出版局、1983年、190-192頁。
54「ソ連、『善隣』草案示す」、『日本経済新聞』1978年1月10日。
55中曽根康弘『中曽根康弘語る戦後日本外交』新潮社、2012年、267頁。
56「自民 尖閣列島も焦点に」、『日本経済新聞』1978年3月25日。「尖閣に既得権を」、『読売新聞』1978年3月25日。
57「日中交渉」、『日本経済新聞』1978年3月26日。
58「政府、事態を重大視」、「『領土』が先決 自民党首脳が判断」、『朝日新聞』1978年4月14日。「中国側が領土権を主張」、「日中条約交渉に暗雲」、『日本経済新聞』1978年4月14日。
59「『尖閣』処理が先決」、『日本経済新聞』1978年4月14日(夕刊)。
60「中国、事実関係の調査約す」、『日本経済新聞』1978年4月15日。「帰属、中国は触れず」、「漁船退去に全力」、『日本経済新聞』1978年4月15日(夕刊)。
61「党内調整、改めて協議」、「ヘリ基地設置調査へ」、『日本経済新聞』1978年4月15日(夕刊)。
62杉本信行『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』PHP研究所、2006年、57頁。
63「尖閣事件、故意ではない」、『日本経済新聞』1978年4月16日。
64作为中国的日本研究应该反省的一个事实,这位日本外交官在回忆录中还指出:“以当时日本国内舆论情形来看,是怎么也不可能派出自卫队舰艇的;但中国方面可能把那个话当真了。”
65「アジア安定へ緊密な連携」『日本経済新聞』1978年5月4日(夕刊)。
66 「『日中条約』締結へ努力」、「尖閣事件は決着」、『日本経済新聞』1978年5月11日。
67「総務会決議を尊重」、「『尖閣』の処理で論議」、『日本経済新聞』1978年8月11日。「首相 自民に了解求む」、『日本経済新聞』1978年8月10日(夕刊)。永野信利『天皇と鄧小平の握手——実録·日中交渉秘史』行政問題研究所出版局、1983年、270-286頁。
68『第一類第四号 外務委員会議録第一号 1978年10月13日』、29頁(日本国会会議録)。
69黄华:《亲历与见闻——黄华回忆录》,北京:世界知识出版社2007年版,第233页。张香山:《中日关系管窥与见证》,北京:当代世界出版社1998年版,第90—91页。中共中央文献研究室(编):《邓小平思想年谱》,北京:中央文献出版社1998年版,第74页。張香山「中日平和友好条約交渉の最終段階」、石井明等編『日中国交正常化·日中平和友好条約締結交渉』岩波書店、2003年、321頁。「78年の会談同席元外務省課長が証言」、『産経新聞』2013年6月29日。
70 《中日两国人民要世世代代友好下去——热烈祝贺中日和平友好条约签订》,载《人民日报》1978年8月14日,第1版。《中日友好关系的新阶段》,载《人民日报》1978年10月24日,第2版。
71「園田外相、鄧副首相と会談」、『日本経済新聞』1978年8月11日。「首相が自民五役に説明」、『日本経済新聞』1978年8月12日。
72「『外相談話』の内容」、『日本経済新聞』1978年8月13。
73「海保庁が近く着工」、『朝日新聞』1979年1月16日(夕刊)。
74「タナ上げ了解に違反」、『日本経済新聞』1979年5月30日。
75《我外交部司长约见日本驻华使馆临时代办》,载《人民日报》1979年5月30日,第5版。外交部档案馆(编):《邓小平外交活动大事记》,北京:世界知识出版社1998年版,第212页。「鄧中国副首相 鈴木氏と会談」、『日本経済新聞』1979年6月1日。
76『第一類第十三号(附属の三) 予算委員会第二分科会議録(外務省、大蔵省及び文部省所管)第一号 1979年2月27日』、9頁(日本国会会議録)。
77『第一類第一号 内閣委員会議録第十四号 1979年5月29日』、13頁(日本国会会議録)。
78『官報(号外) 1979年5月31日 衆議院会議録第三十号』、10頁(日本国会会議録)。「調査中止考えぬ」、『朝日新聞』1978年5月30日。「鄧副首相 大局的処理望む」、『朝日新聞』1979年6月1日。『第十七部 沖縄及び北方問題関する特別委員会会議録第四号 1979年6月1日(参議院)』、20頁(日本国会会議録)。「『尖閣』ヘリポート 年末ごろ撤去」、『日本経済新聞』1979年6月5日。
79「『尖閣』日中で石油開発 正式交渉を指示 園田外相 領有権と分離」、『読売新聞』1979年7月10日(夕刊)。
80「尖閣問題を紛争のタネにするな」、『読売新聞』1979年5月31日。
81周恩来:《关于美英对日和约草案及旧金山会议的声明》(1951年8月15日),载《周恩来外交文选》,北京:中央文献出版社1990年版, 第40页。《肮脏的交易 无耻的骗局》,载《人民日报》1971年6月20日,第4版。
刘建平:中国传媒大学国际传播研究中心(Liu Jianping, Center for International Communication Studies, Communication University of China)

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最新评论

引用 wangzc2009 2015-7-27 12:21
作者没有描述未来前提,也回避了国家间对抗,企图从文字和自己闹别扭中解决问题?。。。不懂任何人和组织是存在立场的嘛?立场问题和利益问题无法解决的,那么就得靠武力来解决!
引用 wangzc2009 2015-7-27 12:19
又臭又长的东西。。。。其实非常简单,如果是建立在大格局是未来全球一统红旗插遍全球!。。。中日各自民族主义问题都会得到清理和清算!。。。。。
另一个建立在中日2国永久资本主义体系下共存的国家间对抗。那么中国干掉美国,日本就会遣唐使问安,一切就能动态的解决问题。现在反正是武装对持就对了!本来资本主义就是要打世界大战的,准备好斗争准备,发展各种高性能武器就对了!
引用 远航一号 2015-7-27 11:40
责任编辑:远航一号

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